旧下野煉化製造会社煉瓦窯(国指定文化財)【通称:野木町煉瓦窯】
日本の近代化遺産、ホフマン式円形輪窯
かつて野木町の近代産業を支えた旧下野煉化製造会社の工場の一部。
国の重要文化財に指定されている煉瓦窯は、「ホフマン式円形輪窯」といい、明治23年に作られました。
現存するものの中で唯一完全な形を保っている貴重な産業遺物です。
外形は16角形、高さ約34メートル、周囲は約100メートル。
明治23年から昭和46年までの約80年間、多いときで月408,000本もの赤レンガを焼き上げました。
見学等のお問い合わせは、野木ホフマン館(生涯学習課交流センター)まで。
- 野木町煉瓦窯の詳細パンフレットはこちらから
問い合わせ先
生涯学習課交流センター係
☎0280-33-6667
野木神社
約1600年前の建立といわれ、二輪草の群生地としても知られています。
およそ1600年前、仁徳天皇の時代の建立。平安時代の征夷大将軍、坂上田村麻呂が延暦21年(802年)にここに詣で、勝どきをあげたといわれています。
田村麻呂は、蝦夷の反乱を抑えられたのは「神の助け」として、そのお礼に社殿を新築し、宮地を現在の場所に定めたのです。
鎌倉時代になると、源頼朝が社領として田地を寄付したり、源実朝が神馬を奉納するなど、源氏の信仰が厚かったようです。
江戸時代には、古河藩主の崇敬も厚く、現在の社殿は、文政2年(1819年)に土井利厚によって再建されたものです。
社殿の側面にある彫刻は見事です。
山県有朋の書による社額もあります。
祭礼は12月3日。独特の神楽や提灯もみで有名です。
境内には芭蕉の句碑があります。
「一疋(いっぴき)のはね馬もなし河千鳥」
所在地:栃木県下都賀郡野木町野木2404
- 【関連情報】野木神社の二輪草(自然散策のページへ)
- 【関連情報】提灯もみ(祭のページへ)
野木神社にある文化財
県指定文化財
黒馬繋馬図絵馬
(こくばけいばずえま)
野木神社にある絵馬は、江戸時代の高名な画家、
谷文晁の作といわれています。
町指定文化財
算額(さんがく)
算額は、日本に古くから発達した数学である和算の問題と解答を絵馬として奉納したもの。
明治22年、最上流の和算学者の弟子、野鳥勝次正行が奉納したものです。
野木神社の大いちょう
樹齢約1200年の大いちょうは「とちぎの名木100選」に入っている。
垂れ下がった気根の様子から、母乳の出ない人の厚い信仰がある。
満福寺
野渡地区の閑静なたたずまいの中にあります。
西光山乾亨院(さいこうさんけんきょういん)満福寺は、明応年間(1492~1500年)に開かれた曹洞宗の禅寺で、古河公方足利成氏(あしかがしげうじ)が建てたといわれています。
寺には、鎌倉円覚寺の行基の作といわれている釈迦如来像が安置されています。
この寺は、二度火災にあっており、江戸時代末期の安政元年(1854年)に再建され現在に至っています。
所在地:栃木県下都賀郡野木町野渡706
- 【関連情報】満福寺のソメイヨシノ(自然散策のページへ)
満福寺にある町指定文化財
満福寺の板碑
鎌倉時代の中期、正元元年(1259年)につくられたもので、県内では最古の部に属しています。
古河公方足利成氏の墓
(こがくぼうあしかがしげうじ)
満福寺には、足利尊氏の子孫である足利成氏の墓があります。
猪苗代兼載の墓
(いなわしろけんさい)
応仁の乱後の京都で活躍した連歌師で、古河公方足利政氏に連歌を指導したといわれています。
大塚古墳(県指定文化財)
県指定文化財の大塚古墳
この古墳は、南赤塚の御門にあり、今から1500年前の古墳時代の方墳であると推定されています。
墳丘は方形を示し、一辺は約23メートル、高さは約3.5メートル、墳上に稲荷神社を祀ってあります。周辺は竹林に囲まれています。
付近には5個の古墳があるので俗称「五界塚」ともいわれています。
野渡貝塚
昔は海岸線が近くにあった!?
野渡貝塚は、野渡の狐塚にあって標高20~21メートルの河岸段丘に 位置しています。
この貝塚は、7地点からなる地点貝塚で、発掘調査した結果、約5000年前の縄文時代前期の黒浜期のものと推定されています。
住居跡に当時生活していた人たちが捨てた貝殻などが積み重なったもので、貝層は約20~30センチの厚さがあります。
発見された貝は、ヤマトシジミを中心とした貝が主ですが、わずかながらカキ、ハイガイなどの海産の貝も見られます。
野渡貝塚は、当時の原始集落や竪穴式住居などの生活様式をうかがうには貴重な遺跡です。