旧下野煉化製造会社煉瓦窯
国指定重要文化財(昭和54年指定)
旧下野煉化製造会社:明治21年創業。
この煉瓦窯は、「ホフマン式円形輪窯」といい、明治23年に作られた。現存するものの中で唯一完全な形を保っている。外形は16角形、高さ約25メートル、周囲は約100メートル。明治23年から昭和47年までの約80年間、多い時で月408,000本もの赤レンガを焼きあげた。
大塚古墳
県指定文化財(昭和32年指定)
今から約1,300年前の、古墳時代 後期の方墳と推定されている。一辺の長さは約23メートル、高さは約3.5メートル。付近には他に4つの古墳があったといわれ、この地域は「五界塚」とい われている。出土遺物は伝えられていない。また、この古墳の北側約1.5キロメートルの所には、古墳時代の集落の篠山遺跡がある。
黒馬繋馬図絵馬
県指定文化財(平成29年指定)野木神社
この絵馬は、江戸時代の高名な画家谷文晁の作といわれている。絵馬は人間が神に祈願する時に馬の絵を描いて奉納したことからはじまったといわれる、民間信仰上の奉納品。
東京浅草の浅草寺のものと一対をなすともいわれている。
野木神社の大いちょう
町指定文化財(昭和52年指定)
今から約1,200年前の平安時代、 征夷大将軍坂上田村麻呂が蝦夷(えぞ)の征伐に成功し、凱旋した時に野木神社に詣で、その折に植えられたものといわれている。その垂れさがったようになっ ている気根のようすから、乳の出ない人の厚い信仰がある。平成元年県の名木100選に選ばれた。
算額
町指定文化財(昭和57年指定)野木神社
算額は、日本に古くから発達した数学である、和算の問題と解答を額にして奉納したもの。この算額は、明治22年(1889年)間々田在住の最上流の和算学者根岸林左衛門安章の弟子野鳥勝次正行(野木宿住)が奉納したもので、町内に現存する唯一のもの。
満福寺の板碑
町指定文化財(昭和49年指定)
板碑は石製の供養塔で、鎌倉時代から江戸時代の初めまでつくられた。この板碑は鎌倉時代の中期正元元年(1259年)に建てられたもので、県内最古のものと考えられている。秩父産の緑泥片岩(長瀞石)でつくられ、高さは約170センチメートル、幅は40センチメートル。
古河公方足利成氏の墓
町指定文化財(昭和56年指定)満福寺境内
満福寺の境内には、古河公方足利成氏のものと伝えられている墓がある。高さ約80センチメートル、五輪塔が雑然と積まれている。
足利成氏
関東管領を努めた基氏の(室町幕府初代将軍足利尊氏の子)4代目。
猪苗代兼戴の墓
町指定文化財(昭和56年指定)満福寺境内
猪苗代兼載は宗祇に連歌を学び、後土御門天皇の命令で詩歌の選者となったり、足利8代将軍義政の連歌などの師匠となったりした。晩年は足利成氏に招かれ、78歳で病没したと伝えられている。
木造阿弥陀如来立像
町指定文化財(平成31年指定)法得寺
この像は、法得寺の本尊として安置された像高98.7cmの木造阿弥陀如来立像である。鎌倉時代に活躍した快慶の「安阿弥様」と呼ばれる作風となっており、製作年代は鎌倉時代中期から後期とされる。野木町では阿弥陀如来像が8軀確認されているが、安阿弥様とされるのは本像のみとなる。
銅像薬師如来立像(伝、阿弥陀如来立像)
町指定文化財(平成31年指定)法得寺
この像は、法得寺に銅像の阿弥陀如来立像として伝来した、総高11cm(像高9cm)の薬師如来立像である。製作時期は鎌倉時代後期から南北朝期とされる。織田信長による石山合戦の際に、顕如側についた民衆たちの守り本尊との伝承がある。野木町では薬師如来像は2軀確認されているが、銅像は本像のみである。